Kan no za
靜めようとしても、靜まらない。
ここでは、押さえつけようとする手を放し、
移ろう感覚を、ただ観て、ただ、許す。
東京、清澄。
明治より続く水上の数寄屋造り「涼亭」。
百十余年の歴史を器として、この夏の夜々、目には見えない建築が立ち上がります。
それは、靜寂と観照を成立させるための設計図。
概念建築「靜智庵(じょうちあん)」の顕現です。
閉園後の靜まり返った庭園で、
移ろう夏の夕闇とともに、ただ、あなたという宇宙と再会する時間をしつらえます。
観の座とは、靜かに坐り、自らの内側に起きている微細な変化を観測する場です。
一、同一の対象を観続ける
同じ場所を観続けることで、変化そのものがすでに起き続けている事実に触れます。
一、坐れる身体へ
呼吸や思考をコントロールするのではなく、短い瞑想を繰り返すことで、観察が起きる条件を立ち上げます。
一、橋としての言語化
感覚を靜かに言葉へと接続し、体験を自らの血肉へと統合します。
これは「教わる」時間ではありません。
主宰者は場を支える「柱」として存在し、
あなたが自らの観察者として目覚めるための条件を調えます。
身体の奥で、何かが息をしている。
名前をつける前に、それは変わっていく。
他の誰かも、今、内側を見ている。
この靜かな実践には、二つの側面があります。
一、個の靜寂
自らの変化を観る力を取り戻すこと。
それは、混迷する日常において、何にも依存しない「中心」を再発見する道です。
一、世界への波紋
一人が靜寂に立ち返ることは、周囲に穏やかさを広げます。
あなたがこの場で坐ることは、巡り巡って、人の世全体を底上げする微かな、しかし確かな貢献へと繋がっています。
靜智庵 柱 たかや ごう
靜けさの深みで理(ことわり)を観る瞑想家としての眼差し。
身体の微細な律動を聴くセラピスト(BCST)としての眼差し。
そして、空間と心の力学を捉える大工としての眼差し。
それらが交差したとき、「靜寂を成立させるための設計図」が描かれました。
主宰者は教える者としてではなく、
靜智庵を顕現させるための「柱」として、あなたの観察を支えます。
日時:2026年 6月〜8月 金曜夕刻
(全6座、日程はPeatix参照)
17:50 〜 19:50(前後することがあります)
会場:清澄庭園内涼亭
定員:各座 8名まで
参加費:単座 9,000円(会費・運営費として)
この会は、特定の宗教や思想を広めるものではありません。
「ただ、そこに在り、観る」
その潔い実践に惹かれる方、
日常の中に埋もれた微かな事実を
靜寂の中で見つめ直したい方のための場です。
庭園の靜寂を通り抜ける帰り道、
あなたの視線は、何を捉えているだろうか。